「処刑執行方法は聖処刑か・・・確かに″彼″には有効だが一人では負担が大きすぎるのではないか?」

赤い土の薄暗い受付を通過し、やたらと豪華なエメラルド色のレンガの面会室を通過し、一つの牢にに5〜6人が共に生活をしている軽罪受刑者の収容区画をも通過し、幾度目かの長く暗い廊下に差し掛かった頃、思い出したように一番前を歩くチョーサーがエメットに尋ねた
相変わらず通路は狭く、そして特に区画同士を繋ぐ通路は急傾斜で有った為に一行は一列で進む事を強いられる。今は黄色い入口から受付へと下った時とは違いゲイルはエメットとチョーサーの間を歩いている
ちらりと後ろを振り返ると、エメットはどこか心此処に有らずと言った調子で俯き加減で唯黙々と歩を進め、時折何かを考えるように顎に手をやっていた

兄の様子を見てゲイルは、いよいよ兄が何をしようとしているのか気になって仕方が無くなってきた。すると唯でさえ落ち着きのない性格が余計に落ち着かなくて、随分と荒々しい歩き方をしていたことがわかった。自分の足音が無駄に大きく響いている
気がつくと彼は、前を歩くチョーサーに訪ねていた

「あの、ジーゲルト殿」

言葉に反応してチョーサーは目線をゲイルに寄越した。それは相変わらず威圧的で有ったもののゲイルは今の彼からは鋭さは感じなかった
小声になって拡声機のように右手を口に添え、声をひそめたゲイルに合わせチョーサーは少し首を後方へ寄せる
チョーサーの身長はエメットよりも更に高く、平らな地面に立った時にゲイルの頭の位置は彼の肩に達するかどうかといった具合だったが、バンガ族としては小柄な印象であった
えっと、と少しためらった後、ゲイルは意を決して声を出す

「処刑とは、何ですか?それと、″彼″は誰なんですか?」

するとチョーサーはその顔に少し影を滲ませて視線をゲイルから外し、やがてゆっくりとエメットには聞こえないであろう、音量を絞った掠れた声で、独り言のように口を動かす

「そうだな。有る時"彼"は英雄だった。穢れ無き誉れの戦士として、その名はイヴァリース全土へゆっくりと、しかし確実に知れ渡った
しかし有る時、″彼″は突如一級犯罪者としてその名を轟かせる。それは英雄として"彼"の名が広まるよりもずっと早く、そしてイヴァリース中が人間の持っていた″彼″の汚れ無き英雄としての記憶を一瞬で抹消して仕舞えるほどの大きな衝撃を持って」

フン、と鼻息を漏らし一旦独白を中断したチョーサーは、ちらりとゲイルの目を見やる
少年の目は無言で、プリズンの兵士に言葉の先を促す
ゲイルから目を離し、再び前を向くとチョーサーは又同じように独白を再開する。徐々に大きくなってゆく声に彼自身は気付いていないようだった

「銀色に輝く髪、整った顔立ちと意思の強い、それで居て優しく慈悲に満ち溢れた赤紫の瞳
しかし体つきは中肉中背で、独特のオーラを纏ってはいたが何処にでも居そうなごく普通の人間族の青年
剣の腕は飛び抜けて強い、と言う訳でも無かったが
周りの人間の能力を見抜き、引き出し、生かす。戦いの場の雰囲気を演出し掌握し、自身は味方の邪魔をせぬよう、有利になるように立ちまわる。エンゲージに置いて"彼"は天才的だった
・・・アーディンの影響だろうな。お前達二人とも雰囲気が良く似ている」
「・・・え?」

徐々に口調に素が滲み出てくるチョーサーの言葉の中、何の前触れもなく飛びだした父の名に、ゲイルは我が耳を疑った
彼は今確かに、アーディンと言わなかったか?

「アーディンと言うのは・・・俺の養父の名前と同じ、別人の事でしょうか?」

父の名はイヴァリースではさして珍しい名前では無いはずだった。しかしゲイルは、ほぼ直感でチョーサーが己の父の事を指して言っている事が分かった
分かった上で、あえて別人だろうと尋ねたのだが、チョーサーは首を横に振った

「お前の思い浮かべている顔で間違っていない・・・オレがまだ若いころ、良く助けられた親友だ」

そして彼は続ける。どこか懐かしい顔をしながら

「エメット、ゲイル、そして″彼″・・・グツコーは、皆父親似だな」

目元が親父さんに良く似ている。チョーサーは本当に懐かしむように天を仰いで呟いて、それから何も喋らなくなった


そういう事だったのか

誰に言う訳でもなく、ゲイルは小さく呟いた
父の諦めたような横顔。兄の大きな決意に満ち溢れた目。父の親友の懐かしむような口調・・・
彼らの表情、言動、心の内・・・全てが重なる。″彼″・・・グツコーという人物に、全て行き着く
全てが少年の胸の内で繋がり、音を立てて弾けた

つまり

・・・兄さんは、これから肉親を処刑するのか

唯何ともなしに、本当に無感動に彼は答えを導き出した

チョーサーの話から察するに、グツコーと言うのはゲイルとエメットの兄弟に当たる人物のようだったが、ゲイルは彼の名を知らない

恐らくは、己と入れ替わりになったのだろう
・・・彼がアーディンの養子になった時にはエメットしか居なかったのだ

だからだろうか、ゲイルは酷く冷静で、落ち着いていた
彼は今も殆ど他人事のように、これからエメットが行う「処刑」について考えを巡らせながら歩き続けている
完全に他人事だと思えないのは、処刑されるグツコーはゲイルにとっては赤の他人でも、エメットにとっては掛け替えのない兄で有り、そして・・・例え血は繋がっていなくとも、ゲイルにとってエメットが唯一無二の兄弟に違いないからだった

それ故に自分は冷静なのだろうか。幾ら敬愛する兄にとって、これから処刑する人物が近い存在とは言え、己とは全く面識がないのだ
何故だろう。そこに焦りに似た孤独感の様な、怒りの様なものを覚えるのは

結論は、出なかった
否、彼はこの感情の答えに気付いていたのかもしれない
気付かない振りをしていたのかもしれない

ゲイルの思考はそこで中断され、彼はそのまま何を考える訳でもなくただ静かに歩き続けた

そこから、誰も何も喋らなかった
黙ったまま、どのくらい歩いたのだろうか
随分と歩いた気もするし、さほど歩いていないような気もする
…逆に言えば、それだけ上の空だったということなのだが

ただ黙々と足を動かしていたゲイルの意識は、些細な事で呼び戻される
何を考える訳でもなく唯歩いていると、ふと彼は何かに頭をぶつけた
ぶつけた直後は何が起こったのか解らなかったものの、状況を理解するのに時間はかからなかった
前を歩いていたチョーサーが、歩くのを止め、立ち止まっている
それに気付かずに歩き続けていたゲイルはどうやら彼の肩当てに額をぶつけたようだった

音がするほどに勢い良くぶつけたものだから、頭が痛い。それにも拘らず何故かチョーサーは微動だにしなかったが、今のゲイルにはどうでも良かった。とにかく頭が痛いのだ
余りに痛いのでたんこぶが出来て居るのではないかと少年がぶつけた部分を注意深く探っていると、少し遅れて彼の後を歩いていたエメットが追いついた。ゲイルのように何かに頭をぶつけると言う事はしなかったが、前の二人が何故進まないのか、疑問に感じているようだった

それはゲイルも同じだった
チョーサーは何故急に立ち止まったのだろう

疑問付に頭を支配されたゲイルは、少し背伸びをして前を覗き込み、その瞬間理解する
守護騎士が歩くのを止めた理由
それは、プリズンに入る際ゲイルがエメットと共に破ってきた魔法障壁よりももっと強力なそれが、行く手を阻んで居たからに他ならなかった
彼らは、そのほんの5メートル手前付近で立ち止まったのだ

それにしても、存在を視界に捕らえるまでそれに気付かなかったにもかかわらず、何故、肌で感じれるほどの魔力を持った第一の障壁よりも強力だと分かったのか
この答えに、少年は答える術を持たなかった
敢えて言えばそう、ただなんとも無しにそんな気がしたのだ
現に、一度目に触れた魔法障壁の持つ魔力の強さに、ゲイルは身震いが止まらないのだから

……結論から言うとゲイルのその勘は、外れていなかった

「先に説明しておく」

不意に前を向いたまま、静かに、反面はっきりとしたチョーサーの声がした

「これから通過する区画はプリズンでも特に危険な囚人が収容されている。所謂死刑囚も少なくない」

後ろでエメットが小さく詰めた息を吐き出す

「あまりにも危険なため、我々関係者も余程の事が無い限り近づかン・・・がしかし、″彼″の元へ行くには此処を通過するより他に無い」

そこで、だ。と急にこちらを振り返り、次にその場にしゃがみながら、勿体を付けてチョーサーは、この空間で唯一の光源であるランプの蓋を外すと、その油に何かを注ぎ込む
すると蝋燭の明かりが消え、代わりに芯の部分から緑色に発光した煙が立ち上った
つられて空間の色も明るい黄色みを帯びた色から不思議な緑みを帯びた色へと変わる

「ステルス効果の有る煙だ。これを用いてお前達二人の姿を一時的に消す」

彼が説明するに、まず、体の中から全ての空気を吐き出し、代わりにランプから立ち上る蛍光緑の煙を吸う
吸った後は魔法障壁の向こうの区画を完全に通過するまで、煙りの効能を逃がさぬように息を止めて進むとの事だった

言われたとおりにゲイルとエメットは、まず肺の空気を空にする
煙を吸う間も、チョーサーの細々とした忠告が続くが、いちいち構っていられない
今何かを喋れば、それだけ空気を消費する事になるからだ

「奴らは物音に酷く敏感な為、息が持たないからと言って走ることも出来ない。注意深く、なるだけ自然に歩くように」

守護騎士の忠告が終わり、ランプの明かりが元の色を取り戻すのと同時にゲイルは息を止めた
兄弟の様子を確認したチョーサーは立ち上がりくるりと回れ右をするとそのまま数歩歩き、早口に呪文を唱え、その後はプリズンの入口に有るそれと同じ要領で魔法障壁を解除する

「行くぞ」

小さく後ろに合図を送り、やがて先程までよりも幾らかゆっくりとした歩調でチョーサーは歩き出した
遅れないように速度に注意しながら、ゲイルも足を踏み出す。振り返りこそしなかったものの、エメットも彼の後ろ、一定の間隔で足を踏み出したのが気配でわかった

魔法障壁を隔てた此方は、今まで通過して来た通路は元よりどの区画よりも暗く、チョーサーの持つランプの明かりが嫌に明るく色を放っているかのようだった
彼等の進行方向正面には、つい今しがた通ってきたのと同じ、強い魔力によって形成された障壁が見える。距離にしておよそ200メートル。視界の一直線上に存在しているために、意識せずとも見てしまう
通路の両脇には、鉄の錆びた牢がずらりと立ち並び、囚人達はその中に一人ずつ、不規則に収容され、皆蹲ったまま見じろき一つしない
生きて居るのかどうかすら怪しい囚人も、少なからず居た

目に映るもの全てが不気味だった。此処に来るまでに通過した牢も、不気味だとは思った。足を踏み入れた瞬間から気味が悪いと思った。建物を目にした時から、寒気が止まらないとは思っていた
地下に潜るほどに増す湿度や体感温度、臭い、篭った空気、次第に増える蜘蛛の巣にまで恐怖を感じなかったといえば嘘になる。しかしそれらは本の序の口だったのだ。この光景を目の当たりにした後では、どうしてあれしきの事で鳥肌を立てていたのかと、馬鹿らしくなってくる

バクーバで普通の生活をしていれば、こんな光景は目にせずに済んだだろう

唯一一行の中でステルスの負護を受けていないチョーサーは、後ろの二人の存在を感づかせないように飽くまで自然に歩く。彼が持つ明かりに時折顔を上げる囚人は居るものの、相変わらず目立った動きをする者はいない

奥へ奥へ進むにつれ、徐々に爪先に体重がかかってくるのが分かる
これまでの牢もそうだった。通路よりずっと傾斜は緩く、ただ見ているだけでは分からないものの、歩いていると建物全体が坂道で形成されている事が分かってくる

それはつまり、谷底へと下って行っていると言う事で
谷底へ行けば行くほど重罪人がその身を送還される事でプリズンは有名なのだ
つまりこの区画も、入口に近い囚人よりも、一行が目指す出口に近い囚人の方が危険と言う事だ
ゲイルは今歩いているこの瞬間も、足を踏み出すほどに危険なオーラが強くなっている気がした
意識しないと分からないレベルで、だが。恐らくこの勘は当たっているのだろう。チョーサーの顔に浮かぶ汗が、段々増えている

距離は残り60メートル。そろそろゴールまで四分の一と言ったところか

息は、意外に良く持っている
バクーバで暮らす人間は大抵泳ぎが得意だ。ゲイルも例外ではない
天涯孤独だった頃は良く店から何かを盗んだときなどに身を隠すため海へ飛び込んだものだ

あの頃の水練がまさかこんな所で役に立つなんてなぁ。と、気を抜いたのが、命取りだった

一瞬でも彼は、ここがプリズンで最も危険な区画だと言う事を忘れたのだ

緊張して居れば、足元に注意していれば、声など上げずに済んだだろう
何かが、ゲイルの足の上を走った

「ぅわっ!!」
「!!!」

しまった、と思った時にはもう既に遅かった

「伏せろ!」

背後から声とともにエメットが、ゲイルを突き飛ばすようにその上へと覆いかぶさった
刹那、二人の上を一本のナイフが飛ぶ
ナイフはそのまま何にも突き刺さらずに、向かいの無人牢の鉄柵に弾かれる。鉄同士がぶつかり、鋭い音がした
良く見るとそれは、鋭く研がれた配膳用のスプーンだった

エメット共に床に転がったゲイルは、右肘を強く打ちつけた。服の下から少し血が滲んでいる。黒い服を着て居るのであまり目立たなかったが、それでも痛みは誤魔化せない
勢い良く背中に飛び付いたエメットの体重もあって、胸が苦しい。気付けば咳込んで、呼吸も荒くなっていた
体を落ち着かせよう。本能的に大きく息を吸い込んで、ゲイルは後悔する
酷い異臭が、鼻から、肺から、全身へと廻った
何かが腐ったような、吐瀉物の様な、酷く強力な解毒剤の様な
上手い例えが見つからない、気持ちの悪い臭い匂い
魔法障壁を挟んだ向こう側では、こんな臭いはしなかった
あれは、この空気を閉じ込める為の物だったのだ

息を止めて通過すれば、気付く事もなかったのに!

だが今更後悔しても遅い。少年は、決して吸ってはいけない空気を吸い込んだのだ

いつの間にか奥の魔法障壁の傍まで進んだチョーサーが、必死に叫ぶ

「走れ!!」

言葉とともにエメットは立ち上がり、ゲイルの前に立つと彼の右手を引き、全速力で走りだした
その動作一つ一つの合間に、四方から、スプーンと皿、そして魔法が飛び交った
囚人共が、彼らの存在に感づいたのだ

殺す、ころす、コロス…!!

武器を取り上げることは出来ても、魔力までは吸いとれないらしい
或いはあの魔法障壁がその役割を果たしていたのかもしれないが、既に入口出口どちらの障壁も、プリズンの最高位に居る守護騎士が解いてしまった

囚人は、餌を求めて己を閉じ込める鉄柵にしがみ付く
先程までの大人しさはどこへやら。今は兄弟が通過するだけで鉄柵を握りしめ、音を鳴らし、口々に叫ぶ

コロス…コロス!!!

死刑囚にとっては、道連れが欲しいのだろう
あるいは刺激が欲しいのだろう
己が放つ武器が、魔法が、健康そのものの見慣れぬ人間の胸を抉り、生を奪い、動かなくなった体を鼠が食い荒らす光景が見たくて仕方ないのだろう

出鱈目に飛び交う鋭利な攻撃を、全て咄嗟のところで交わしながら、兄弟は走る

しかし、あと一歩と言う所で

「!くぅ…ッ」
「兄さん!!」

エメットの剥き出しの左足首に、二本のスプーンが刺さった

痛むのだろう。彼はそのまま膝を着いて動かない
そうしている間にも八方から様々な物が飛び交う
動かなくなった標的に、先程までの広い範囲を狙う適当な下位魔法とは違う、狙いを定めた強力な一撃魔法が、迫り来る

終わりか…
覚悟を決めたその瞬間

「……!」

少年は、何かが己の中から溢れてくるのを感じた
訳が分からないまま、腰の剣を引き抜き一線すると、

「あああああああああああああっ!!!!」

自分達に向かって飛来していた物が全て、彼らの文字通り目と鼻の先で
ぱたりと落ちた

しん、と辺りが鎮まる。皆、呆気に取られて動かない

一番驚いているのは、ゲイル自身だった

何が起こったんだ…?

「急げ!!」

逸早く我に返ったらしいチョーサーが叫ぶのと、エメットが立ち上がるのは同時だった
兄弟は、再びチョーサーの待つところへと走り出す
少し遅れて、最初のナイフがついさっきまでゲイルが居たところへと飛んだが
ナイフがその軌跡の先の囚人の心臓を突き刺す時にはもう、再び魔法によって壁が作られた後だった