はじまり

溢れて漏れて届く音に、心が躍る気がした
心臓がドキドキする。高揚感、って言うのかな。バッシュのスキール音、ボールがネットをくぐる音、ドリブルが響く音。飛び交う大きな声、とか。全部ぜんぶ、「バスケットボール」っていうスポーツ独特の音で、例えばそれが今みたいに初めて来る高校の体育館から聞こえる、知らない人の発する物であってもわくわくしてしまうのは、やっぱり昔からずっとバスケットボールを触っていたからなのかな?

はっ。ドキドキして動機が。キタコレ

……なんて、言ってる場合じゃないか。いつもならダジャレを思いついたらネタ帳を開いて、忘れないように書きとめておくんだけど、流石に今それをしていたら、列の最後尾にいる俺はこの場に置いてきぼりにされてしまう。それはダメだ。何のために秀徳高校バスケ部に見学に来たのか分からなくなってしまう。本末転倒って奴だ
普段は日向にいくらうざがられても馬鹿にされてもダジャレは止められないんだけど、今日ばっかりはバスケに集中しなきゃ。え?いつもバスケに真面目じゃないのかって?そんなわけないだろ。バスケは生きがいでダジャレは文化。どっちも極めるのが俺のポリシーなんだからさ

あ。もしかして、ちゃんと自己紹介しなきゃダメかな?
俺、伊月俊。中学三年生で、バスケ部に所属してる。ポジションはポイントガード。バスケはミニバスから始めた
三人きょうだいの真ん中で、上に姉貴、下に妹がいて
今日はオープンスクールの機会を利用して、秀徳高校バスケ部に見学に来てる
……このぐらいでいい?

今は、バスケ部見学を希望した他の中学生と一緒に、引率の先生に案内されて一列に並んで歩いている。体育館の建物の正面玄関から入って、目の前にある体育館の入り口の前を通りすぎ、右手に回って更衣室に案内されたところだ
部活見学、と言ってもその学校ごとにやり方はそれぞれで、本当に見るだけしかさせてくれない学校もあるけれど、秀徳は特別に中学生用の練習メニューを組んでくれていて、高校生と同じ体育館でバスケが出来るんだ
見学時間は、授業時間と同じ、一限70分。俺はバスケ部だけの見学予定だからこの時間が終わったら帰る予定だけど、中にはもう一限、別の部活の見学をする生徒もいるみたいだ
「では中学生は、こちらで着替えてから全員揃って体育館に入って練習に参加して下さい」

ここまで引率してくれた高校の先生がにっこり笑って、更衣室の扉を閉めて出て行くと、俺達バスケ部見学を希望した中学生は、各々好きなところに陣取り、持って来た練習着に着替え始める
人数は十人。着ている制服は見事にみんな違う。全員違う中学の生徒みたいだ。こう言うオープンスクールの機会は割と、一人だと不安だからと言って友達同士で連れたってやってきたり、中学校の方でいろいろ準備してくれたりして、同じ学校の生徒は固まって行動することが多いから、こう言ったケースはけっこう珍しい
中には友達は又違う部活に見学に行っただけ、っていうパターンもあるんだろうけど……他の人のことだし、大して気にならないかな
ちなみに俺の場合はと言うと、本当は日向とこのバスケ部の見学に来る予定だったんだけど、日向の奴、昨日の夜にいきなり体調崩したらしくて。せっかく約束していたのにごめんね、って日向の母さんから今朝家を出る直前に電話がかかってきたときはびっくりした
今までいろんな高校の見学に来たけど、そう言えば、日向が居ないって言うのは今回が初めてなんじゃないかな?
不安とかは特に感じないけど、いつも隣にいる日向が居ないって言うのは、変な感じがする。今日は日向の分まで積極的に、ここのバスケ部を見て帰らなきゃな
バッシュの紐をキュッと固めに縛って、とんとん、と爪先を鳴らすと、気合が入る感じがする
息をすっと吸って、ふぅと吐く。軽く目を閉じると、さっき扉の前で聞いていた、バスケの音が頭の中いっぱいに鳴って、またどきどきした
準備万端。いつでもいける
ちらりと他の生徒を見ると、みんな準備ができているみたいだった

誰からと言う事もなく、自然に扉に一番近い所にいた奴が扉を開けて、そのまま全員連れたって、体育館の扉を開けて中に入ると同時に、チャイムが鳴った

瞬間、目の前いっぱいに広がる、明るい空間。独特の空気。高い天井と、広いコート。洪水みたいに溢れてくる、音、音、おと
心臓のがばくばく鳴って、耳の傍でどくどくと血が流れるこの感じ。すごい、今更ながらに、やっぱり強豪校は気迫から違うな、なんて偉そうなことを思ったり

コートは半分ネットで区切ってあって、向こう側にいる高校生の人達が、ミニゲーム形式で練習をしているみたいだ。軽い感じでパスが通ってゴールが決まったりしているけれど、相当ハイレベルだって言うのが分かる。思わず思考が止まってしまったのは俺一人だけじゃなかったみたいで、すぐ近くから、誰かのごくり、という喉が鳴る音が聞こえたのは多分気のせいなんかじゃない
こういう光景を、息を飲むって言うんだろうな。それとも、迫力に押される、とか?

とにかくその場から足が固まって動かなくなってしまった中学生十人は、誰一人として、心ここにあらずという状態だったみたいで

「君たちがオープンスクール出来た子たちだね。ふぅむ」

なんて、いつの間にか背後に立っていた、引率の先生とはまた違う先生にいきなり声を掛けられて、飛び上がってしまって

「「「「わああ!?」」」」

とか叫んでしまったりして。しまった。失礼なことをしちゃったなぁ。とか思ったところで、遅いわけで

でもどうやら、叫ばれてもその先生は全然気にしていないみたいだ。顎に右手を添えたままの姿勢で、瞼だけをわずかに伏せて、ぶつぶつ、と、もごもごの間の感じで、独り言みたいに「監督の中谷です」と自己紹介をされると、目線をちらりと俺達の一番端にいた奴に向けた。多分、自己紹介をしろ、と言う事なんだろう。中谷監督と目があったそいつも気がついたようで、そのまま成り行きで並び順に自己紹介をする

「ふぅむ。十人か。聞いていたより多いが……うん。十人なら、そうだね。まずは予定通り軽くストレッチとランニング、パスとシュートの練習をアップ代わりにしてもらって、折角だから軽い試合をしてもらおう」

うんうん一人で頷きながら、中谷監督が中学生に今日何をさせるかを指示する。アップのメニューは事前に決めてあったみたいで、人数分コピーされたものが隣の奴から渡されて、俺も一枚とって逆隣の奴に渡す
プリントに書かれた内容はかなり濃いものだけど中学生の体力に合わせて特別に作ってもらってるメニューで、これを軽くこなせるぐらいじゃないと秀徳のレギュラーなんて言うのは到底無理だって、俺でもよく分かる

頑張らなきゃ

「そうだね。リーダーがいた方がやり易いだろうから、君。やりなさい」
「は、はい」

中谷監督は俺達の中から一人リーダーを決めると、高校生のコートの方へネットをくぐって行ってしまった。アップが終わったら呼びにきなさい、と言う事なんだろう。てっきりつきっきりで見学者の指導をしてもらえるもんだと思っていたら、そうでもないようだ
取り残されたようになって、一瞬ぽけーっとしてしまった俺達だったけれど、リーダーに指名された生徒の号令にしたがって、言われたとおりにアップを始める。そう言えばこいつ見たことのある顔だな、と思ったけれど、それもそうだ。確か県外の強豪校のキャプテンだ。他の八人もそう言えば、みんな結構有名な中学のレギュラーじゃないか?どうしてさっきの自己紹介の時に気付けなかったんだろう。俺は馬鹿か。と思ったけれど、さっきまでの九人は俺と同じくどこにでも居る中学生の顔をしていたから、見抜けないのも無理が無いのかも?バスケ選手としての顔は知っていても、中学生としての顔は知らないんだからさ

それにしても、キツイ
文字で見てるだけじゃ実感わかないというか、想像の範囲内でしかわかんないけど、実際体を動かしてみると、本当にキツイ練習メニューだ
はぁっ、はぁっ、と口が勝手に開いて息が乱れてくる。けれど他の奴らは、涼しい顔とまではいかないけれど、まだまだ全然余裕そうで、俺一人だけ明らかにこの中で劣っているのを痛いほどに感じてしまう
言われたメニューを全部こなした時、情けないかな、座り込んでしまったのは俺だけだった
止まらない汗をぐいぐいと乱暴に拭って、乱れた呼吸で何とか深呼吸して立ち上がると、ちょうど中谷監督と、ポロシャツ姿のバスケ部まで引率してくれた先生がこちらのコートにやってきたから、誰からともなくその前に整列する

「終わったようだね。では、ゲームのチーム分けを発表する」

ちらり、と中谷監督が隣の先生に目配せをすると、先生は色違い二色のゼッケンを俺達に順番に渡して行った。同じ色のゼッケンの奴が同じチームなんだろう

「今渡されたゼッケンを着てポジションを相談した後、ハーフラインに整列するように」

二つのチームに分かれた方の、俺と同じ緑のチームになった四人は俺を見てあからさまに嫌そうな顔をした。こいつと一緒かよ、って言う感じの顔。けど、気にしてなんかいられない。俺は今日は、日向の分まで頑張らなきゃいけないんだ

「俺にポイントガードやらせて」

大丈夫かよ、と言う顔をされたけど、気にしてなんかいられない
簡単にポジションを相談して決めて、全員のポジションが決まる。どうやらこの五人、元からポジションが全く被って無かったらしい。あっという間だった
それはどうやら向こうのチームも一緒だったみたいで、先にハーフラインに整列をしている
中谷監督はコートの外。全体が見えるところに立ち、引率の先生は審判をする為にハーフラインに立っていた

「では、これから20分のミニゲームを始めます」

「「「「「「「「「「よろしくおねがいします!!!」」」」」」」」」」

先生の声に続いて、全員が一例をして、ジャンプボールをする二人以外はサークルの外へ

ふわり。ボールが高く浮いて、試合が始まった

バシィ!

叩かれたボールは俺の目の前。拾って周囲を素早く見渡す。いける……!!
タイミング良く走り込んできた味方の4番ゼッケン、スモールホワードへパスを出し、走る
けれど、緑の4番に素早く、敵チーム青の8番が回り込んできて圧力を掛けてボールを奪われてしまう

「こっちだ!!」

そのままパスが青の8番から、さっきまで全体のリーダーを務めていた青の5番へと通りそうになるのを、緑の9番、味方のパワーフォワードがスティールして、再びこちらのボールになる
そのまま緑の9番はゴールの下まで走り込んでいき、綺麗なフォームでレイアップシュートを決めた

「ナイッシュー!」

フォワード二人が軽くハイタッチを交わして、試合は続く

前半10分、後半10分、試合はずっと、最初の様なハイペースで進み、そして、ブザービーターが大きく鳴り響いて、俺のチームが負けた
理由なんて痛いほどわかっている。俺のせいだ

ハーフラインに再び整列すると、挨拶をして試合が終わる。すると

「全員集合」

コートの外にいた中谷監督から指示が入った。今日の部活見学はこれで終わりだから、プリントに書いてあるダウンメニューをこなして、各自解散しなさい。と短く告げると、監督は去って行った


ダウンを終えた俺は、体育館を出て、着替えもせずに更衣室に一人しゃがみ込む
チャイムはもう五分も前に鳴っていて、他の中学生はみんなもう帰ってしまっていて、俺一人分の荷物だけが更衣室にあった

「はぁ…ぁ…ぅ…っ!」

息が乱れて、上手く呼吸ができない。試合に負けても、仲間だった奴らの視線が、背中に突き刺さることは無かった。お前のせいだと、お前が弱いからだと、無言の罵声を吐かれる事は無かった

なぜなら、みんな俺なんか見ていなかったから
俺は、相手にされないほど、弱かったのだ

パスミスをしたわけじゃない。ボールを取られたわけでもない。それでも俺のチームが負けた理由は唯一つ。敵も味方も、俺の存在を視界に捕らえていなかったから。俺がボールを触ったのは、こぼれ球を拾った時だけ

試合後、一人息を乱している俺の事なんか気に構わず、九人は互いの健闘を称えていた。俺の事は最初からそこに居なかったかのように、誰も気にしなかった

「…っ…ぅ」

視界が歪んで、ぽたりぽたりと、床に涙が落ちた。日向の分まで。そう思っていたのに。やっぱり俺は弱小校の弱小ポイントガードでしか無かったんだなって。分かっていたはずなのに、肌で感じると、悔しくて悔しくてたまらないけれど、いつまでもこんな所で泣いてなんかいられない
止まらない涙をぐいぐいと肩口で拭って、無理やり止める
悔しいと感じているうちは、まだ大丈夫だ。努力して努力して、上手くなってやる!

着替え終わって荷物を持って、体育館の入り口まで歩いていく。背中の向こう、閉じられた扉の後ろではまだ、変わらずバスケの音が響いていて。俺は今すぐにでも帰って、家の近くのストバスのコートで、上手くなる為に練習がしたくて

……あれ?

なんだろう。この違和感

足元……?……靴?あれ……あれ!?
なんて言うか、小さい。きつい。あ。靴が窮屈、キタコレ。じゃなくて!! ちょっと待って、どうしよう。パニックだ。履き心地が違う。って言う事はつまり、俺の靴じゃない!
間違えられたんだ。誰かが俺の靴を履いて帰ってしまったんだ
うわっだって、そんな…!!これは、この場合は、どうすればいいんだ?
とにかくこの靴をこのまま履いて帰るわけにはいかないし、かと言って裸足で帰るなんて訳にもいかないし。と言うかこの靴は誰の靴で、俺の靴は今どこにあるんだ?えっえっ、ど、どうしよう!
お、落ち着くんだ俺。とりあえず目を閉じて、リラックス…そう!深呼吸、深呼吸するんだ。ゆっくり大きく吸って、吐いて……

「おい、お前」

大丈夫だ、落ち着くんだ。ゆっくり、ゆっくり……吸って、吐いて……もう一回、息を吸って……

「聞いてんのかお前。轢くぞ」

ごつり

「はふっ!!?」

三回目の深呼吸をしようと思いっきり息を吸ったところで、行き成り頭に固い衝撃が振って来て、反射的に間抜けな声が出てしまった

なんだなんだ!?なんて言うか、日向にこう、ダジャレを言った瞬間「ダアホ!」とか言われながら頭をゴン!とどつかれたみたいな、そんな感じの衝撃。けれどいつも俺を殴ったり罵ったりする親友は今日は此処に居ないはずで、と言うか俺今ここに一人だったはずなんだけど、何が起こった?誰かに殴られた?

なんて、文字になると結構長ったらしい事をコンマ何秒かの間に?マークだらけ、パニック続行中の頭で考えて、いざ目を開け、俺を殴った相手が居るであろう方向へ向くと、ものすごく不機嫌そうな顔とばっちり目があってしまった

「(っていうか、背、高!!何食べたらそうなるの!?)」

キラキラ光るはちみつ色の猫っ毛。見上げると首筋が痛くなりそうなほど高い上背。色素の薄い綺麗な黒目。なんていうか、溜息が出そうなほど、整った人が俺を見ていて、思わずぽかんと見とれてしまっていると、おでこに結構鋭い痛みが走った

「イテッ!」
「そこ立ってっと邪魔だろーが。焼くぞ」

鋭い痛みの正体は、長い指から繰り出されたデコピンだった。冗談抜きで、痛い
俺が額を抑えて呻いてる間に、その人は俺の脇にあった靴入れからバッシュを取り出し、運動靴を脱いで代わりに靴入れに放り込んだ

ん?バッシュ?ってことはこの人、バスケ部?

「あ、あの!!」
「うぉっ!!?」

バスケ部の人だ、って思った瞬間、バッシュを履く為に屈んだその人の背中に大きな声を出したらびっくりさせてしまったみたいで、ちょっとその人がよろけたから、あ、ごめんなさい。と謝ると、何なんだよ、とさっきよりも更に不機嫌そうな顔で見下ろされる

「そ、その、俺、今日オープンスクール出来た中学三年なんですけど、その、靴、帰ろうと思ったら靴が、違う人ので、その、えっと、どうして良いかわからなくて!」

バスケ部の人ってことは、もしかしたら俺が部活見学でさっきまでバスケ部にちょっと参加させてもらってた事を知ってるかもしれない、と思って、もしかしたら、なんとかなるんじゃないかと思って、混乱した頭で一気に喋るとその人は

「はぁ?何言ってるか分かんねーよ」
「イテ!!」

また、デコピンしてきた。しかもさっきと同じところを、さっきよりも強い力で。ううっ絶対これ赤くなってる……
痛みのあまりなんだか熱くなった気のするおでこをさすっていると、頭の上からため息が聞こえた。あ、何かすっごく、機嫌悪そう……

「ミヤジ」
「え?」
「俺の名前。お前の名前は?」
「い、伊月です。伊月俊」

あれ?なんで自己紹介してるんだろう。と思ってると、ミヤジさんはキラキラした蜂蜜色の髪の毛を、右手でガシガシと乱暴に掻きまわしながら、質問を続けてくる
最後に靴を見たのは?その靴はどこに置いた?靴が無いと気付いたのはいつ?何時頃から何時頃まで体育館に居た?名前は書いてあるのか?など、俺の靴に関係する事をあれこれと短く質問して、それに俺が短く答えるたびに小さく唸った

「で、その靴はお前の今履いてるのと似ているのか?」
「あ、はい。形は全く一緒です。ただサイズが少し小さくて……」

片足を上げて、肩越しから未だに履いている誰かの靴のかかとを見て、俺はあれ?と声をあげる

「どうした?」
「名前が書いてあります」

かかとと言うよりほぼ靴の裏側に近い部分に、小さく控え目に女の子の名前が書かれてあるのを今更ながらに見つけて俺が両脚から履いていた靴を引き抜くのと、ミヤジさんが溜息をつくのは同時だった

「もっと早く気付けよ……」
「ご、ごめんなさい……」

言われたことがもっとも過ぎて何にも返せない。俺、だっせえ。でもとにかく、これで誰が俺の靴を間違って履いて行っちゃったかは分かった。それだけでなんだかほっとした気分になってしまって、肩の力が抜けてしまう俺だったんだけど

「何もう見つかった気になってんだ。殺すぞ」

なんて、怒った声が聞こえてくるから思わず肩がすくんでしまう。いや、はい、あなたのおっしゃることはごもっともですが、殺すぞはないと思います。はい。あ、ロシアの殺し屋は恐ろしや。キタコレ、って、言ってる場合じゃないか。日向が居たら間違いなく「伊月黙れ」って言われてる
でもここから、どうすればいいんだろう?俺一人じゃこの女の子の顔も知らないし、探し出せなんてしない。なんて考えていると

「ま、こんだけ情報が集まってりゃ充分だろ……靴持ってついて来い」
「へ?」

言い終らないうちにミヤジさんが長い足で歩きだすから、慌てて追いかける
体育館の入り口を入らずに左手に折れて、ちょうど俺達中学生が使っていた更衣室とは反対の位置にある大きな扉を開けると、正面に校舎へ続く連絡通路があった
ミヤジさんはサクサクと歩いて行くから、俺は半ば走るような形で追いかけて、校舎内の職員室へと進む
職員室につくとミヤジさんは一人の先生を呼んで、俺の代わりに事情を説明してくれた。オープンスクールの最初、体育館に中学生全員が集まった時に、司会をしていた中年の女の先生だった

「……と言う訳なんですけど、靴間違えた中学生、まだ学校内に居ますか?」
「うーん……そうですね……少し調べてみましょう。そこで待っていなさい」

先生は職員室の扉の前で俺達二人を待たせて、一旦自分の机の上に帰って行くと、なにやら名簿の様なものを漁っているみたいだった

「その靴の名前の奴な」

先生の様子を見て居た俺に、同じく先生の方を向きながら、独り言のように宮地さんが喋る

「もし、二つ以上部活の見学をしているようだったら、まだ校内に残っている可能性があるから、もしそうだったら次のチャイムが鳴った時点で放送で呼びだしてくれるそうだ」

ミヤジさんが喋る終わると、先生がこっちに歩いてくるのが見えた

「えっと、○○××さんで良かったかしら?ええ、今はテニス部の見学に行っているようね。この時間が終わったらすぐに校内放送で呼び出しの連絡をしましょう」

先生が俺に向かってにっこり笑ってそう言ってくれて、俺はずっと抱えていた不安がやっと晴れる気がして、ほっと息を吐いた

「すみません、ありがとうございます」

良かった、これでもう、見つかったも同じだ
お礼を言うと先生がまた少し、笑顔を深くするのがわかった

「よっぽど疲れたのね、大変だったでしょう?ミヤジ君も一緒に探してくれたのね、ありがとう」
「いや、大した事してないですよ。それより先生、その女生徒呼びだすの、体育館にしてくれません?他の場所指定して迷われるとややこしいんで」
「そうね。ではそうさせて頂きます」

先生にもう一度お礼を言って、俺とミヤジさんは職員室前を後にし、体育館へ戻ってきた
最初にミヤジさんに会った場所、体育館の入り口まで帰ってくると、俺はミヤジさんに向きなおって頭を下げる

「ありがとうございました、もう大丈夫です」

するとミヤジさんはあさっての方向を向きながら、頭に手をやって

「大した事してねぇっての。それよりお前、次のチャイムなるまであと二十分はあるぞ。どうするつもりだ」
「どうするって……ここで待つつもりです」

他に行くと来ないですし、と言うと、ミヤジさんは、言うと思った。と呟いて、俺を真っ直ぐに睨みつけるように見て、言った

「付き合え」
「え?」
「バッシュ持って来てんだろ。チャイム鳴るまで俺の練習に付き合え」

命令するような、強い口調。真っ直ぐに見つめてくる真剣な目に、嫌です、なんて言えなかった

「は……はい!」

それに、さっきはネット越しからしか見れなかった、現役の秀徳の選手と一緒にコートに立てることが、とても魅力的で
制服のまま、バッシュを履いて、汗だくになってボールを追いかけた

いつの間にか他の人達が居なくなっていた広い体育館で、俺達二人はワンオンワンをしたり、パスの練習をした
ミヤジさんは、手加減をしない人だった
実力の差なんて本当にすごくて、さっきの中学生たちがみんな可愛く思えるほどで
それでも俺は必死に食らいついた

こんなに広い体育館で、響く音が全部、俺達二人が出している音なんだと思うと、ドキドキして、わくわくして、嬉しくて、熱くて、楽しくて

どうにかなってしまいそうだった

このままずっと、ボールを追いかけていたい。けれど楽しい時間はあっという間に過ぎてしまって
チャイムが響く。余韻が消えるか消えないかのうちに、俺の靴を履き間違えた女の子を呼びだす放送が入って、ミヤジさんがボールをドリブルするのを止めた

しんと静まった体育館で、二人の呼吸だけが響く
荒く乱れた呼吸を、大きく深呼吸することで何とか整えて

「あ、あのっ!ありがとうございましたっ楽しかった、です」

勢い良くミヤジさんに向かって、頭を下げると

「伊月」

初めて、ミヤジさんが俺の名前を呼ぶ声が、とても冷たく聞こえた

「お前、何のためにバスケやってる?」
「え?」

ボールを片付け、俺に背中を向けながら、ミヤジさんは冷めた声で続ける
得体の知れない冷たい汗が、背中を流れ落ちる気がした

「見学で来たのを見てた時から思ってた。お前は、自分の為にバスケをしていない
誰かを活躍させる為、誰かに点を取らせる為、そういうスタンスでこれからもバスケしていくつもりならな」

一呼吸おいて、今までで一番冷たい声で

「向いてないから、諦めろ」

ぴしゃり

冷たい水を、頭から浴びせられたような、そんな、急に体が冷えて行く感触
さっきまでの熱が、嘘のように、蒸発して

固まってしまった俺を放って、ミヤジさんは、体育館を出て行くまで
俺は、一歩も動けなかった















































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