猫を拾った
灰色の目の・・・・・・長身の、男

猫という名前の、人間の男
悔しい事に、俺よりでかくて顔も良い


なァ、拾ってくんねェ?


ゴミ捨て場に座っていた猫の第一声
櫛の通らなさそうな髪、からかうような灰色

もちろん丁重にお断りして
その場を立ち去ろうとしたよ
ごめんねって

すると猫はその灰色の目を見開いて
行き成り喉を振るわせた


アンタ変わってるぜ。無視しねェの?


呵呵大笑とは正にこのことを言うんだろう
汚れた顔に涙まで浮かべて大爆笑


勝手にしろ!


吐き捨ててその場を走り去ろうと足を踏み出した
途端、足首を引っ張られてこけた
強かに地面に体を打ち付けて思わず咳き込む


何をするんだ!


危ないだろう
と続けようとした言葉は
懇願するような灰色を見て消えた


* * *


猫は、とにかく気ままだった

仕方なく四畳半一間のオンボロアパートに連れ帰って身だしなみを整えた猫は
想像していたよりずっと男前だった

付け加えるなら、呆れるぐらい世間知らずで常識が無かった

だって有り得ないと思わない?
恐らく成人済みの大の男が
リボン結びが出来ないなんて、さ!

そしてどうやら淋しがりらしかった


猫は、よく一人で出掛けた

俺が学校やバイトなんかから帰ってくると
部屋は大抵しんとしていて暗かった

しばらく一人で時間を潰していると
やがて静かに帰ってくる

そんな日々の繰り返しだ


おかえりもただいまも無く
食事もそれぞれ別の同居生活

これといった会話もない

強いて言うなら、寝る部屋がただ同じなだけ


だから俺は、特に猫について知ろうともしなかった
・・・だから


ゆー。何か悲しい事有ッたのか?


なんて、猫の口から聞えた時は唯ただ唖然とした


ちなみに、ゆーって言うのは俺のこと

本名は全く違うんだけど、猫に名前を教える気になれなくて
その時聴いていた曲の、丁度流れた歌詞から拝借


・・・・・・どうしてそう思ったの?


いつになく真剣な猫の先ほどの言葉に
なんでもないよと口を歪めれば

猫はさらに恐いくらい真剣な顔で口を開いた


ゆー。正直に話してみィ?


反対に、口調は前よりも穏やかだった


ああ、なんだ。こんな顔も出来るんじゃないか


いつもへらへら力なく笑っていた目元やら口元やらから目が離せずに頭の隅で感心しつつ
一方で何故そんなにも真剣なのかと疑問も感じつつ


ねぇ、どうして俺が悲しそうに思うの?


今度は俺も真剣に尋ねてみた


だってゆー、この間テレビ観てた時と同じ顔だ
フランダースの犬ッて奴


・・・・・・はぁ?何言ってるんだ
横でティッシュを丸ごと一箱使い切るまで
涙と鼻水を延々と流していたのは猫のほうだったはずだ

見ているこっちが脱水症状を起こしそうだと思ったから良く覚えている

・・・・・・猫は続けて言う


悲しいんなら素直に俺みてェに泣けばいいのによォ
ゆーは我慢しすぎだ。あの時も、今もな


何が有ッたのか、教えてみ


猫は少し表情を緩めた

俺は少し笑って


確かに少しショックな事はあったよ
でも、君に話すような事じゃない

それに泣いたりしてストレスから逃げるのは慣れないんだ


したくもないね、とは言わないで
猫から離れようとして立ち上が

・・・・・・れなかった

猫が俺の腕を物凄い力で引っ張ったからだ


・・・・・・何?


俺は、ゆーに感謝してる
ゆーは俺のこと邪魔者扱いしねェし
無償で寝させてくれる


けどさ、と一息吐いた猫は
これ以上ないくらい真面目な灰色の目を合わせて言った


俺のこと、もっと知ろうとしてくれねェかな


訳が分からない
何を言ってるんだ
知りたいなんて思わないね
もう放っておいてくれよ

・・・・・・そんな事、思う余裕もなかった

唯ただ、切れ長の灰色から視線が外せなかった


今目を逸らせば負けると思った
思ってからふと気付く、何に負けたくないのかと
何を恐れているのだろうと


ゆーはさ、


言いかけた猫は首を振り、目を細めた


ゆーは、器用じゃねェのな


変なこと言ッてごめんな
といって、彼は立ち上がり、視界から消えた

間もなく玄関の戸が音を立て
・・・・・・それきりだった


* * *


四畳半一間はこんなにも広い空間だったのか


猫が去ってから最初に気がついたことだった

たかが人間一人
それもほんの数週間
唯寝るためのスペースと着替えを一、二着貸し与えただけなのに

テレビはこんなにも騒がしいものだったのか
洗濯物はこんなに少なかったのか


しまった
そういえば猫の奴
俺の服着たまま出て行ったな


あれ気に入ってたのにな

独り言なんて言っても空しいだけだと知っていたが
日に日に増えてゆくのは何故だ


ゆーは、器用じゃねェのな


ああそうだよ
俺は不器用な人間さ

君みたいに
泣きたい時に泣きたいだけ泣ければ
どれだけ楽になれるだろうね


――何時からだろう
テレビドラマの主人公に共感できなくなったのは


人は誰もが孤独なのだと
結局最後に頼れるのは自分自身だと言いながら親友を作ろうとしなくなったのは
何時からなのだろう


俺のこと、もっと知ろうとしてくれねェかな


――ああ、猫だけじゃない
俺は誰にも俺を語った事がないじゃないか


あんた、独りぼっちじゃねぇか


点けっ放しのテレビから聴こえた科白に鳥肌が立った

自分の事ではないというのに


見ると二人の男が拳銃を持って睨み合っている
先ほどの台詞を言ったと思われる役者が不意に口の端を歪めて笑った

その目が、誰かに似ている気がしたが
誰だろうと思う前に次の言葉が紡がれる


――淋しくないのか?


全ての思考が停止した
息をする事も忘れた

比喩なんかじゃない
瞬きすら出来ない
・・・・・・全身が震えた


もう一人の役者が何かを叫んでいるが、それすら聴こえない


ドラマは続く、そして気が付く

最初に口を開いた男の目が
初めて出会ったときの猫に似ていた


アンタ変わってるぜ。無視しねェの?


ぽたり。何かが落ちる音がした

ぽたり。ぽたり。もう二つ、何かが落ちる

ぽたり。ぽたり。ぽたり。止まずに落ちる


鼻の奥が痛くなって、ティッシュを探そうと立ち上がろうとしたその時に
やっと視界が歪んでいる事に気が付いた


ああ、俺、泣いているのか


意外に冷静な思考と反比例して
涙はますます止まらなくなってしまった

何故泣いているのかと考えると、嗚咽が漏れた


ティッシュは見つからなかった
そうだ。猫が、この間全部使ってしまったのだ

二人並んで観たテレビ。世界名作劇場とか、そんな感じのタイトルだった
あの時も、主人公には共感できなかった


悲しいんなら素直に俺みてェに泣けばいいのによォ


あの時猫は感情移入出来たのだろうか
共感したから泣いたんだろうか

わからない

俺がわかろうとしなかったから

猫のことを、知ろうとしなかったからだ


涙は、収まるどころかずっとずっと続いていて



――どのくらいの時間、そうしていたのだろう


コンコン


玄関の戸を叩く音

ああそういえば、インターホンは壊れていたのだ
いや、今そんな事はどうだっていい

とにかく今はこの部屋から出たくなかった
・・・・・・なのに


コンコン


ノックの音は鳴り止まない


ゆー。居るんだろォ?


よりにもよって一番会いたくない奴の声
俺のことをその名で呼ぶのは、唯一人だけだ


あのさァ、外めッちゃくちゃ寒ィのなァ
風すげェ吹いてるし俺マジで薄着だしィ
おまけに俺かなり腹減ってて人恋しい訳よォ
だからなァ、鍵開けて部屋ん中入れてくれねェ?

あとなァ、ゆーが喜ぶモンも持ッてきたんだわァ
だから兎に角入れてくれねェかねェ


能天気な声が扉の向こうからガンガン響く
何の悩みも持たない声が、部屋に入れてくれと訴えてくる

けれど俺は
例え誰が尋ねてきてもこの部屋に入れたくなかった


悪いけど


戸へ歩み寄りながら、猫に話しかける


今は誰にも会いたくないんだ


だから、帰ってくれ

扉に背を預け、成る丈無感情に言い放つ
語尾の方、少し声が震えてしまったが、そんな事気にしていられない

今は、一人にして欲しかった

立っているのも辛く感じて、その場に座り込む
すると又何故か泣けてきてしまった


俺の涙腺は一体どうなっているんだ

嫌だ、こんなの俺じゃない

そもそも何が悲しいというのだろう
止まらない涙にイライラが積もって、ますます悔しくて泣いてしまう


・・・・・・ゆー泣いてんのか?


扉越しの、無感情な猫の声
続けて背中に微かな振動


辛かったろ・・・・・・ずッと、我慢してたもんな


猫の声は震えていた
鼻をすする音が、一枚の板の向こうとこちらで重なる


猫は、


んン?


もう一度、鼻を啜って涙を袖口で拭う


・・・・・・猫は、何かやなことなかったの?
どうしてゴミ捨て場に居たの?


戸の向こうからしゃっくりが聞えた
やはり聞いてはいけなかったか・・・・・

そう思ったが、猫はぽつりぽつりと語りだした


俺さァ、ずッと独りだったから


鼻声で、ぽつりぽつりと語りだす


人目に付くところに居れば、誰かが同情してくれると思ッてた

・・・・・・着るモンとか、食べるモンとかは、それこそ猫みたいに盗んで生活してた

・・・・・・ずッと、待ってたよ。ゆーみたいな人
やさしくて、あッたかい場所


ぽたり
又涙が落ちた。ドアの向こうからくぐもった泣き声が聞える


ゆーに会う前にも、拾って世話してくれる奴らは何人か居た
・・・・・けどみんなさ、俺にとっては眩しすぎて

・・・・・・ゆーが眩しくないとか、そういうんじゃねェよ?
・・・・・・落ち着かなくて・・・・・・

だから、ゆーとあいつらの違いを考えた時に
ゆーが腹の底から笑えてねェ事に気がついた

きっともう、大分長い事泣いてないんだろうなァッてさ

・・・・・・辛かっただろ


涙腺が、今度こそ本当に壊れた

思わず声を上げて泣いてしまう

・・・・・・悲しくも悔しくも、増してや全く嬉しくもないのに
・・・・・・感情と無関係に体の水分が全部目から零れ出る


猫は、俺が泣き止むまでずっと黙っていた

背中合わせで二人座っている事に、ひどく安心感を覚えた


* * *


そういえばさ、俺が喜ぶものって何なの?


部屋で初めて二人で食事をしながら、それとなく猫に聞いてみた

そうしたら、あァ!?忘れてたッ
なんて、
やっぱりいつも通りの腑抜け面で間抜けな声を上げた

そしてなにやらゴソゴソとポケットを手当たり次第ひっくり返したかと思うと
行き成りニィっと口を歪めて、目当てのものを俺の目の前に突き出した


・・・・・・鏡?


ゆー、今の顔ずっとそのままで居ろよォ
・・・・・・もう悲しい顔しちゃダメだぜェ


出会った時と同じく、呵呵大笑する彼がとても眩しくて
気がつくとつられて声を上げて笑ってしまっていた



































fin