穏やかな陽気に満ちた空気
シリルの郊外、少し、開けた場所
ここに拠点を構える少数精鋭のこのクランは、全員が拠点に居る事よりも全員が出払っていることの方が多い
今日も又、そんな一日だった

拠点の一角、煙突の様な造りの一つぽつんと離れた建物から、不思議な煙が立ち上っている
穏やかな風に乗って、煙がゆらゆらと揺れている

パステラーズに所属する狩人チェルニーの休養日は、自分以外に人がいれば部屋でカラクリの組み立てを
そして、今日のように自分以外が拠点に誰も居ない時は、木で出来たこの煙突で薬の生成をする事に宛がわれる

魔物の肉片や骨、血などから薬を生成するのは、クディクス山岳の風習だ
彼ら狩人の知恵と技能の結晶であるこれらは、普通の薬とは遥かに違う効能を秘めており、通常のけがの手当てはもちろん、千切れた四肢を接着したり、失った五感を取り戻したり、ケアル症の進行を止めるといった効能を持つ物も中にはある
しかし、そういった強力な効能を秘めているが故に、扱いが難しく、特に薬を生成する間、材料となる魔物の身体を加工している間は、十分な注意が必要になる

魔物の体は、特に熱加工をすると、強力な毒素を噴き出す事があり、体内に入れば、即死の危険性もある
だから彼は薬を作るのは人の居ない日、万が一人が居てもここには近づかないように、とメンバー全員に通達をして、薬を作る
この建物も、壁に有った窓を全てはめ殺しにし、吹き抜けの天井に一つだけ四角い窓を付け、風の流れを調整し、気体となった毒素がそこへ全て流れてゆくような仕組みになってある

「ふぃー。終わった」

ただ一つある扉から一番遠い棚に薬瓶をしまい、ガラスの引き戸を閉めてチェルニーは伸びをした
つま先立ちをしながらぐっと片腕を伸ばし、満足そうな顔を浮かべる
たった今、薬の生成と片付けが終わったのだ
彼はそのまま高くあげた右腕の肘を曲げ、左手を首筋に添えて肩を回す
いつもならそのまま真っ直ぐ部屋を後にし、足早に自室へと戻りカラクリ作りに熱中するのだが、今回作った薬は少し作るのが難しく、手間がかかったせいもあり、彼は随分と疲れていた
部屋の空気が全て入れ替わるまでここに居ても良いだろう、と思った彼は、先程まで魔物の肉を燻していた部屋の中央に位置する囲炉裏まで行き、その前にどかりと胡坐をかいて取り出した煙草をその残り火で点火し口へ運ぶ

薬の生成には、この煙草の煙が欠かせない
先ほど述べたようにクディクスの狩人の薬は強力で、生成段階で人体に害を及ぼす危険性もある
周囲への配慮は自分が注意を呼びかければ良い、では自分の身をどうして守るのか

その答えが、この煙草だ

薬を生成する際に、自分の体、特に気管支系を守るために、彼らは特殊な煙草を作り、その煙を気管支に充満させることで我が身を守っている
この煙草も又薬と同じく、狩人の知恵と技術の結晶なのだ

煙草の味は、狩人によって千差万別だ
親兄弟だからと言って、作る煙草の味は似ない
共通点はと言えば、口に入る主流煙の匂いが街で市販されている煙草とは全く比べ物にならないほど、癖が強いこと

チェルニーが初めて口に含んだ煙草は、兄の物だった

ふぅー。と長く息を吐き、煙を吐き出す
若草色の柔らかい煙が、風の流れに乗って、上へ上へと流れて天窓へと吸い込まれてゆく

チェイニーの煙草は、煙の色が藤色だった

あれは15の時。初めて兄に薬の作り方を教えてもらう際に、煙草の吸い方も習った
薬を作ったことのないチェルニーは、当然自分の煙草を持っていなかった
そこでチェイニーが、弟に自分の煙草を分け与えたのだ
クディクスでは、15歳以上の人間は皆、煙草を吸う
薬を生成する時以外では、祭りのときや中には四六時中吸ってるヘビースモーカーもいた
だから、クディクスで生まれ育った彼は煙には慣れているはずだった

…はずだった、のだが

「兄ちゃんのたばこ、甘いんだよな」

兄、チェイニーの煙草は、彼にとって想像だにしない味で
甘く、苦く、喉に貼りつく様な、焦げ付く様な。吸いこんだ煙がそのまま喉に絡みつくように痛く、吸いこんだ瞬間に盛大にむせ返り、泪と鼻水が止まらなくなってしまったのだ

あの時の、可笑しくて仕方ないと言ったチェイニーの顔を、煙を吸っているとよく思い出す
兄は元々表情がよく動く様な人間ではなかったのだが、ある日を境に一層無表情になってしまった
それが、初めての煙草で大惨事になっている弟を見て、大声で笑ったのだ
そんな兄を見て、咳の止まらないチェルニーは恨めしく思え、涙目ながらに思いきり睨んだのだが、それが逆効果だったらしく、チェイニーはますます笑いが止まらなくなってしまい、お互い目が真っ赤になるまで泣いてやっと咳と笑いが治まった

それ以来、薬を生成するたびに吸いこまなければいけない兄の煙草が、トラウマになってしまったのだ
けれど、クディクスの狩人として生き続ける限り、薬は貴重な財政源である
この薬を街で売ったその金で、彼らは命を繋いでいるのだ
薬を生成する風習は、自分の暮らしの為、集落全体の暮らしの為に、辞めるわけにはいかない

どうすれば煙草を吸わずに済むか、考えたチェルニーはある日、妙案を思いつく
薬を作っている間、魔物の毒素を吸いこまないように息を止めればいいのではないのか、と

結果は大失敗に終わり、彼はしばらく生死の淵を彷徨った

煙草は随分と短くなっていた
囲炉裏の灰で揉み消して、チェルニーは新しい煙草を口に咥える
火種ももう無かったので、仕方なくマッチを吸って火を点けた
一本吸ったら出て行こうと思っていたのだが、今日はもう少しのんびりしたい気分だった

彼が吸っているこの煙草は、彼のオリジナルだ

兄の煙草が苦手で仕方がなくて、あれを吸うぐらいならと息を止めてまで薬を作ろうとしたのが16歳の時
目が覚めたチェルニーが耳にした第一声は、チェイニーの罵声だった

「お前は死ぬ気か!!!!」

滅多に表情を動かさない兄が無表情になってから、二度目のはっきりとした感情
しかし目が覚めての第一声が心配や安堵ではなく、罵声で、少なからず頭に来たチェルニーも兄に言ったのだ

「兄ちゃんのたばこがまずいのがだめなんだ!!」

それから二人で大喧嘩をした
掴みあって取っ組みあって、こんなに激しい喧嘩をしたことはそれまで一度もなかった
お互いに頭に血が上り、止まらなくなってしまい、酷い言葉を浴びせあった
あの時まだ10歳にもなっていなかった妹が、二人の剣幕に泣き出してしまわなかったらどうなっていたのだろう
結局二人とも、妹には負けてしまうのだ
どちらからともなく不器用に謝って、傷の手当てを自分達でした

それでもチェルニーは、しばらくチェイニーとまともに口を利かなかった


すぅー。と煙草を吸いこみ、口から離して長くゆっくりと息を吐く
細長い若草色の煙が又、空気の流れに乗って上へ上へと登って行った

彼が自分の煙草を持ち始めたのは、それからだった
当時から好きだったからくりをほっぽり出して薬の研究をしたのはあの時ぐらいだったのではないか、と思い返す
逆に言えば、それだけ兄の藤色の煙が嫌いだった、という事なのだが
実際、それ以来彼は自分の煙草以外の煙を口にしてはいない

味のほとんどしない物を作ろうと思った
少しでも甘い匂いがすれば、兄の煙草を思い出した
そうして、兄と煙草の思い出が過った

自分のたばこが出来た時、何故だろう、少し懐かしかった

薬を生成している時、材料を加工しながら兄のことを思い出す
それはきっと自分に薬の作り方を教えてくれたのが兄だったからなのだろう
しかしそれと同時に、別の面影が煙草を吸っていると彼の頭をよぎる
あまりにも薄ぼんやりとしていて、それが誰なのかははっきりとしないのだが
記憶の淵の懐かしい思い出なのだろう。誰か分からない面影がすっと浮かんで消える間、チェルニーは、酷く懐かしい気持ちになるのだ

あれは誰なんだろうな…

「いい陽気だな」

突然背後から声が聞こえて、チェルニーは驚き、声の聞こえた方向を見る
クエストに出ていたパステラーズのリーダー、マックが、扉の前に立っていた
防具や弓、篭手はしていない、となると

「帰って来てたのか」
「つい10分ほど前にな」

今回は楽な仕事だった、と言って、マックは唇と目元を三日月形にする
彼がこう言った表情を見せる相手は限られており、恐らく、パステラーズ内では自分だけではないのかとチェルニーは思っている
それは、彼らが同じ師に指導を仰いだ弟子同志だからであり、少なくともチェルニーにとってマックは、家族同然の存在であるからだ

「もう終って随分経つんだろう?」
「んー。そだな、40分くらい前?かな」

片付けをすべて終えてから吸っていた煙草の数を考えて、チェルニーは答える。それを聞いてマックは、じゃぁ俺が入っても大丈夫だよな、と確認をとり、まだ笑いを浮かべながら部屋の中に入って来て、チェルニーの背後に立つ
そして一つすぅーっと息を吸い込み、懐かしい匂いだ、と言った
その言葉にチェルニーが首をかしげていると、マックは一層柔らかく笑って、言う

「先生の匂いがする」
「父ちゃんの?」

そう。先生の匂い。と言いながらマックは又、今度は深く深呼吸をして、今度はチェルニーと目を合わせながら言う

「その煙草、先生が吸ってたのと同じ匂いだ」
「そうだっけ?だってこれ、俺の煙草だぜ?」

言葉と共にチェルニーは不思議そうに自分の煙草を眺めた

「懐かしい、ねえ…」

そうして彼は、一つの事に気がついた
自分も煙草を吸いながら、懐かしいと思っていた
兄とは違う面影、記憶の中に薄れていた人物
元々父はクディクスの狩人では無かった。だからだろうか、父が吸う煙草は、他の狩人に比べて随分と淡白な匂いだった

唯ただ白い、煙の色

その色ばかりが数少ない父との思い出だった

気付けばまた煙草は短くなっていて、これを最後の一本にしようと、チェルニーは新し煙草を咥えて火を点ける

吸いこんだ煙は、クディクスの他の狩人に比べれば随分と個性の無い味
自分だけの煙草を作ろうとしたとき、クディクス中の狩人から一箱ずつ、それぞれの作ったたばこを資料として調達したのだ
そしてそれらを吸い比べ、自分の好きな味を研究した
結果、自分は殆ど味のしない煙草が好きだと知ったのだ
出来あがった彼の煙草は、何の味もしなかった
ただ立ち上る煙の若草色だけが、クディクスの特別なたばこであることを証明していた

「父ちゃん…か」

独り言のように呟き、チェルニーはシニカルに笑った

「どうした?」
「いや。思い出してただけ。俺も自分のたばこ吸ってて、懐かしいって思ってたからさ」

煙草を吸うたびに過った薄ぼんやりした面影。白く曇っていたのは、恐らく彼が纏っていた煙の色なのだろう
チェルニーは、はっきりと父の顔を思い出した

そして、マックの顔をみてにやりと笑い、煙草を差し出しながら提案する

「なぁ、懐かしいんなら、一本吸わねえ?」

一瞬きょとんとしたマックは、仕方がないな、と言った調子で目を細める

「一本だけだぞ」

すっと手が伸び、煙草を取る。火種が欲しい、とマッチに手を伸ばそうとしたその手をチェルニーがつかみ、顔を近づけ煙草同士を擦り合わせて点火した

「へへっ」

悪戯に笑う顔を見て、マックも又、深く笑った
そのまま二人、囲炉裏の前に並んで座る
緑の煙が二本、四角い空へと吸い込まれて行く
ふぅーと、長く息を吐き出して、マックがチェルニーのたばこを美味いと褒めた

チェルニーはというと、それを見て又すこし、父を思い出した

煙の味だけ、彼らの思い出がある様な気がした
この煙草は、自分の思い出の味なのだけども

家のどこかに、父のたばこがあるはずだった

しけっていなければ、味は変わっていないだろう。帰った時にでも吸ってみよう
それから、今度ディープクランと合流したら、一箱二箱、兄ちゃんのたばこも貰おう
吸っている間、きっとあの涙を流しながら大笑いしたあの顔や、激怒しているのにも関わらず今にも泣き出してしまいそうなあの顔を思い出すのだろう

久し振りに、あの藤色が恋しかった































fin