温め過ぎたのがいけなかったんだ


お陰でいつもより少し砂糖を多めに用意しなければいけなかった
……どうせ熱くて味なんてわからないのに。


ひとつだけため息をついて、二つあるカップの片方だけに砂糖とミルクを入れる


あいつはどうせ聞かなくてもブラックが良いって言うんだ。
もう分かってる。分かりきってる


戸棚を開け、適当な菓子を探していると、ふと、コーヒーよりミルクが飲みたくなった

せっかく苦労して入れたキリマンジャロ。けれど、それよりもホットミルクが飲みたくて
少し迷って、ミルクで白くなった方を流しへ捨てた


ミルクを温めている間、ブラックコーヒーが冷めないかと思ったが

そうだ、いつもより温め過ぎたんだから少しぐらい冷めても平気だろう、と思った


菓子は、今朝焼いたパンが残っていた
白いパンは、少し多く焼きすぎてしまったのだ


温かいミルクの香りと、キリマンジャロの豆の香り、少し焼きすぎた白いパン

全てをトレイに行儀よく乗せ、あいつの元へ



小春日和の暖かな、光と風を感じさせるレースのカーテンの向こう側
いつもの席。こちらに背を向け腰掛けて、寝息をたてるあいつの元へ


……夜行性め


昨日は帰りが遅かった。疲れているのだろう。いつもはコーヒーの香りで起きるのに

どうせなら、起こさないように。どうせなら、ちゃんと声を掛けて起こしてやりたい
そっと顔に乗っかっている本を退けて、ふと思う


……老けたな


それでも綺麗な顔に変わりはないのだけれど、それももう出会った時のように綺麗な肌じゃない


穏やか過ぎる寝顔は、いつもの様に不機嫌な眉間に皺寄せた顔じゃない


意外と長いまつげとか、綺麗な鼻筋とか、薄い唇とか。
見慣れてるはずの顔が、何故かとても寂しく感じる


自分の姿が全く変わらないから、余計に


そうか。もう俺なんかよりずっと体は衰え始めているのか


ふとそんなことを思うと、泣きそうになった


俺はいつまでも子供のままで
それよりずっと子供だったあんたは俺より大人になって


だから


だから殺して欲しかったんだ


そうしたら、こんな風に泣くことだって無かったのに!


それもこれも、コーヒーを温め過ぎたのがいけなかったんだ


きっとそうだよな。ちょっと失敗したから、悲観的になってるだけなんだ



柱時計が三時を告げた


ああ、この瞬間も、時間が流れ去ってゆく

一秒、一分、一時間、一日、一週間、一月、一年


鐘が鳴る。十五時の十五回の鐘の音

こうしている間にも、あんたは、段々、老いて行く



声を、泪を、抑えることが出来なかった。だから



「又泣いてるのか」


ゆっくりと薄く唇が開いたことに気がつかなかった


「泣くな…鬱陶しい」


言葉に続いてゆっくりと目が開いて
細い指が目元に伸びてきて


「……」


声に出さないで、唇だけでそうやって紡がれる言葉に


…少し腹が立ったから


こうやって行き成り口を塞ぐのも、悪くは無いよな…










柱時計の鐘の音は、いつの間にか鳴り止んで


湯気を立てていたキリマンジャロとミルクは、もうすっかり冷めてしまっているのだろう





















fin